六甲丹生かぶき


活動理念


一期一会
いつでも歌舞伎と出逢える場所であり続ける
地元の人と舞台を大切にする
活動を支えてくれる人を大切にする
舞台を一つ一つ大切にする




団体紹介

六甲丹生かぶき

2014年12月、旧箱登羅たから歌舞伎のメンバーで「六甲丹生かぶき」を結成しました。 箱登羅たから歌舞伎から引き続き、日本舞踊秋房流家元 秋房愚楽先生にご指導いただいています。
メンバーが年齢を重ね、小中学生中心の一座とは言えなくなったという事情もあり、 甲緑子たから歌舞伎から16年間お世話になった神戸市青少年育成協議会 加藤氏の下を離れ、 神戸市婦人団体協議会 百合ヶ丘婦人会の所属団体として活動しています。
上記の理念に則り、一期一会の精神で精進してまいります。応援のほど、よろしくお願いします。

2010年に市川箱登羅先生が亡くなり、甲緑子たから歌舞伎の新規メンバー募集停止が決まったとき、 箱登羅先生が10年かけて再興させてきた神戸の農村歌舞伎が、そして子ども歌舞伎の活動が途絶えてしまうことを危惧して、 甲緑子たから歌舞伎の卒業生や保護者らが声をあげ、加藤氏の尽力で「箱登羅たから歌舞伎」を結成しました。
当初は指導者不在のため、子たから時代のビデオや各自の記憶を頼りにお稽古し、自分たちで衣装や道具をそろえて化粧をし、たくさんの人たちに支えられながら、手探りで活動をつなぎました。
2012年に日本舞踊秋房流家元 秋房愚楽先生をお迎えし、歌舞伎の技術向上と、新たに日本舞踊のお稽古に励みました。
2014年12月にその活動を終了し、六甲丹生かぶきとして再スタートを切ることとなりました。


甲緑子たから歌舞伎

「甲緑子たから歌舞伎」は1998年、神戸の伝統芸能である農村歌舞伎を復興・継承しようと、三代目市川箱登羅先生を指導者に迎え、神戸市青少年育成協議会 加藤氏が神戸市立甲緑小学校の児童に声掛けして結成されました。 その後近隣の小学校からの参加もあり、最盛期には20人を超える児童で活動しました。
レパートリーは箱登羅先生の創作歌舞伎「子宝童謡夢物語(こはたからわらべうたゆめのかけはし)」をはじめ、「寿曽我対面」「車引き」「裏門」「新口村」「野崎村」「吉野山」「勧進帳」「松の廊下」「寿式三番叟」など毎年新しい演目に挑戦しました。 春の農村歌舞伎上演会、秋の顕宗仁賢神社の宵宮奉納歌舞伎、3月の葺合卒業公演を中心に、老人ホームの慰問活動など幅広く活動しました。
当初からご指導いただいていた市川箱登羅先生が2010年2月に死去され、それに伴って新規メンバーの募集を停止し、2011年3月に活動を終了しました。


指導者紹介

秋房愚楽先生

日本舞踊秋房流家元。日本舞踊家の家に生まれ、5歳で初舞台を踏む。 18歳で名取、25歳で師範となるも、一つの流派にとらわれることなく自己の芸の幅を広げることを志し、師範免状の返上を決意、2001年単身大阪に居を移す。 以降、京舞、上方舞などを学びながら研鑽を積み、2009年に他流派の家元の強い後押しを受け、秋房流を創設。 2015年1月には在シンガポール日本大使館やシンガポール国立大学での公演、レクチャーを行うなど、海外での活動にも意欲的に取り組んでいる。 文化庁上方伝統芸能活性化プロジェクト常任講師、日本伝統舞台芸術振興会、日本創作舞踊協会 会員。


三代目市川箱登羅先生

1956年 日本大学芸術学部卒業と同時に、上方歌舞伎にて学士俳優「大谷山三郎」としてデビュー。
1973年 二代目中村鴈治郎に弟子入りし、「三代目中村芦鴈」に改名。
1977年 「三代目市川箱登羅」を襲名。
1988年 上方歌舞伎引退。その後、各地で素人歌舞伎の指導にあたる。
2010年2月11日 永眠。享年79。

1998年から亡くなる直前まで、甲緑子たから歌舞伎を指導していただきました。
甲緑子たから歌舞伎では、指導、演出、化粧、衣装・道具制作、台本の描き下ろしなど、なんでも自らこなしていました。
子どもが大好きでいつも優しく、歌舞伎は体を動かして声を出して楽しむものだと教えていただきました。